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はぁ。

 涅の実験室。

 まさか白哉が現れるなんて思っていなかったので、思わず逃げてしまった。

『お前を失いたくないからだ。』

 白哉の声が、耳から離れない。

 白哉の口からそんな言葉を聞いたのは始めてだった。

「…白哉………」

 意識が朦朧としているためだろう。

 拭っても拭っても、涙が溢れて来る。

「私は………」

 触れられた頬が熱い。

「私は…っ………」

 少女の体は限界を超えていた。

 華奢な体は重力に従ってその場に崩れた。

 その頬は、涙痕で濡れていた。







「ん?」

 休憩を終えて隊舎へ戻ろうとした途中、阿散井恋次が首を傾げた。

 地獄蝶の面倒を見ている、十一番隊の隊士。

 その後姿が見える。

「なんだ、理吉。 どうした?」

 恋次の声に気付いて、理吉が振り返った。

「阿散井副隊長!」

 理吉は少し困ったように眉を寄せていた。

 ふとその足元を見ると、理吉の側に誰かが倒れているのを見た。

「どうした、誰だ?」

 理吉の方へ歩み寄りながら、恋次が首を傾げる。

「いえ、その…」

 理吉は困ったようにぽりぽりと頬を掻いた。

「見ない顔だったんで、どこの隊かと思ったんですけど… 死覇装の合わせ襟の所にもマークがなくて…」

 恋次が眉を寄せた。

「マークがないって… んな訳ねえだろ。 ちゃんと見たのかよ?」

「見ましたってば! 本当にないんです!」

 理吉の側で足を止め、それを見る。

「…?」

 どこかで、見た顔。

「…っつ………!!!」

 一度瞬きをして、恋次の顔色が変わった。

「? 知り合いですか、阿散井副隊長?」

 理吉が首を傾げる。

「…なんでこんな所にいるんだよ………」

 誰に問う訳でもなく、そう呟いた。

「具合が悪くて倒れたんでしょうか? だったら、四番隊に連れて………って、阿散井副隊長!?」

 理吉がそれをどうしようか話している途中、恋次が突然それを抱き上げた。

 長い漆黒の髪が揺れる。

「コイツは俺がどうにかするから、お前は持ち場に戻れ。 いいな?」

「あ、はい…」

 突然の恋次の行動に戸惑いながら、理吉は頷いた。

 ぱたぱたと遠ざかる理吉の背を見送って、恋次が溜息を吐いた。

 腕の中のそれを見る。

 ぐったりした様子で、頬には涙痕。

「…チッ。」

 何とも言えない気持ちになり、一度舌打ちをする。

「…白…哉………」

 その唇から、よく知る人物の名前が零れた。

「…隊長だろ。 知ってるよ…」

 恋次は歩き出す。

「俺が連れて行ってやるよ… 朽木隊長の所まで。」

 恋次は少し強く、それを抱いた。

「だから待ってろ…」

 きっと恋次が急ぎ足で動いているためだろう。

 まるで恋次の声に頷くかのように、少女の頭が揺れた。


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