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 そっと、目を開けた。

 何もない空間。

「…ここは、どこだ…?」

 は眉を寄せた。

『…壊れ行く世界だ…』

 その声に、弾けたように振り返った。

「姫椿…」

 護神刀の実体だった。

 姫椿は、を見て微笑んだ。

「無事か… 壊れ行く世界とは何だ?」

 がわずかに首を傾げる。

『…言葉の通りだ… わらわは消える…』

 の瞳が揺れた。

「そうか…」

 封印の呪を唱え、その魂魄自体が消滅しようとした時。

 を、そして白哉を護ったのは二つの斬魄刀だった。

「…護ってくれて… ありがとう…」

 が目を細める。

『そのような表情をするな。』

 姫椿が微笑んだ。

『長い歳月に渡り、様々な者を見て来たが… わらわが共に戦いたいと思ったのは、そなたが初めてだ。』

 脳に直接響く声。

 を見据える瞳は優しい。

『"深血"… 忌わしき呪われた血を継いでなお、そなたは汚れなく美しい…』

 はわずかに目を伏せた。

 『 深血 』

 防人一族は、より強い力を求め、身近な血族で繁栄を繰り返して来た。

 濃くなり過ぎた血のため、稀に二つの意志を持つ子供が生まれてくる事がある。

 一族の希少種、深血だ。

 まっすぐに決められた道を進む者は、封印主一族の名に相応しい強き力で尸魂界を護り。

 道を踏み外した者は虚へと堕ち、尸魂界を脅かす存在となるのだ。

 仮面の軍政や破面の始まりは、他の誰でもない、防人一族である。

『そなたはわらわを、"ただの刀"と言い放った。』

 防人一族が襲われた時である。

『それが、嬉しかった…』

 強い力を持った斬魄刀姫椿。

 その力を恐れて、誰一人姫椿に関わる事を恐れた。

 長い歳月、ずっと孤独に過ごしていた。

『護神刀など名ばかり… わらわは神など護らぬ…』

 己に触れた小さな手。

 の中に、己と同じ孤独が見えた。

 それでも、は一人強くあろうとした。

… そなたに一つ、伝えねばならぬことがある…』

 姫椿がまっすぐにを見据えた。

『…仮面の軍政や破面などの中性的な力を持つ存在… わらわに、それらを判別し拒絶する事は出来ない。』

 つまり、死神と虚の力を併せ持つ者は、姫椿の結界の中に立ち入れると言うこと。

 そして一度内側から結界が破壊されれば、虚達が侵入する事など容易い。

『わらわは驕り昂っていた防人一族に、愛想を尽かしていた… だが…』

 防人一族に力を貸す気など毛頭なかった。

 だが、力を欲して姫椿と共に戦おうとした幼い少女の姿に胸を打たれた。

 一族内で忌み嫌われ蔑まれていた少女。

 少女の心はまっすぐで、懸命に生きようとする姿は、姫椿に大切なものを教えてくれた。

『…わらわは… そなたに救われた。』

 真紅の瞳が細められた。

「私は…」

 がまっすぐに姫椿を見据えた。

「内なる己に負けはせぬ! お前の分まで尸魂界を護る! だから… 案ずるな…!」

 姫椿がそっとの髪を撫でた。

『恐れるな、わが主よ… わらわの力は、そのまま月華に宿る。 そして…』

 そのまま、を抱き締めた。

『破壊を望むそなたの内に潜む闇は、わらわが共に連れて行こう…』

 が目を丸くした。

「そんな事が出来るのか?」

『巨大な力を破壊できるのは巨大な力のみ。 内なる己が消えれば、そなたを脅かすものは何もない。』

 姫椿の声は優しい。

『わらわの願いは、そなたが自由である事… 己が心と向き合い、これからの歩む道を決めるがよいだろう。』

 がきゅっと唇を噛んだ。

「…私は… お前が消えてしまうのが嫌だ…! ずっと、ずっと私を諫めてくれていたのに…!」

 が強く裾を握った。

「お前がいなければ私は…! 内なる己に喰われていた…! お前が、いてくれたから………」

 感情が昂った時、諫めてくれたのはいつも姫椿だった。

『その言葉で十分だ。 わらわは逝く… そなたは… 己の願うままに…』

 すっと、煙のように姫椿の姿が消えた。

 支えを失った小さな身体が、その場に膝を折った。

「ありがとう………」

 その頬を、一筋の涙が伝った。


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