ザッ 柔らかい風に、艶やかな髪が揺れた。 瀞霊廷の外、西流魂街の外れ… 志波空鶴の屋敷の側に位置する、一つの墓標。 友に、花を手向けに来たのだ。 「…海燕…」 黒曜石の瞳が、じっと墓石を見据えた。 その霊前に飾った花が揺れる。 「親しい者が亡くなった時… 墓前に手向ける花は、紫苑が良いと思う…」 が背中越しに声を投げた。 きっと、近づいて来るのが誰かわかったのだろう。 紫苑。 その花言葉は、"君を忘れない"。 「ああ… そうだな…」 墓石の前にしゃがみこんだ小さな少女。 その背をまっすぐに見据えて、白哉がそう答えた。 「めずらしいな、白哉。 お前が流魂街に来るなんて。」 振り返ることはせずに、が続ける。 「私を追って来たのか? 心配せずとも、一人で戻れる。」 風が吹いた。 生温かい風に、少女の艶やかな髪が揺れた。 「白哉…」 躊躇いがちに、が口を利いた。 「…ルキアが処刑されようとしていた時… お前は何を思っていた?」 は誰よりも白哉を見ていた。 その心はわかる。 だが、それでも… 白哉の口から、言葉が欲しかった。 「………」 白哉の瞳が揺れた。 「…私が初めてルキアを見たのは…」 その重い口を開く。 白哉が初めてルキアを見たのは、恩師への挨拶に、真央霊術院を訪ねた時だった。 「…どこか憂いを漂わせた漆黒の瞳… それを見て… お前を思い出した…」 その身にまとう空気とでも言うのだろうか。 ルキアはによく似ていた。 「お前に対する罪滅ぼしだったのだろう… 私は、お前によく似たルキアを、妹として迎え… 護ろうと決めたのだ。 だが…」 白哉がわずかに目を伏せた。 「…私は無意識の内に… ルキアを見ながらお前を探していた…」 はもうどこにもいない。 ルキアの中に、を探そうとした。 「護ろうと決めた。 妹として愛して行こうと決めたのだ。 だが…」 出来なかった。 「…… 私が護りたかったのは、他の誰でもない、お前だ…」 側にいるのはルキアなのに、何をしても白哉の脳裏を過ぎるのはだった。 「そのお前を護れなかった私が… どうして他の者を愛せる………」 柔らかい風に乗って、白哉の声が耳に届く。 「バカ者… 私以外の者をお前が愛しても… 私はお前を責めぬ…」 が目を伏せた。 「…人と心を通わせる事に怯えるな、白哉… お前は強い。 強くなった。 …だから、己を許してやれ…」 白哉が小さく首を振る。 「…私は弱い… だからずっと、お前に己が気持ちを伝えられなかったのだ。」 白哉の声に、が一度目を閉じた。 「…封印が解けた時、その場にいたのだろう、白哉…」 ぎゅっと、が強く拳を握った。 「お前は… 確かに私を抱いていた…」 砕けた封聖壁の中、白哉はを抱き締めていた。 「…私は、嬉しかった… だが… お前は何も言葉をくれなかった…」 目が覚めた時、朽木邸の離れにいた。 「どうすればいいのか、わからなかった…!」 自分が使っていた頃のまま、封印される前と何一つ変わらぬ部屋。 いつ、が戻ってもいいように、そのままにされているのだろうと思ったのに。 「先に私を避けたのはお前だ、白哉…」 の言う通りだ。 「…私も… 戸惑ったのだ…」 白哉がゆっくりとに近付く。 「封印が解かれた理由もわからず… お前の気持ちも知らず… ただ、己の気持ちを押し殺していた。」 小さな背中。 それをじっと見据える。 「…私は間に合わなかった。 お前はきっと、私を恨んでいるだろうと思っていた…」 風が吹いた。 「…バカだな、白哉。 お前は大バカ者だ。」 が振り返る。 「だが… そんなお前を想い続けていた私も、救い様のないバカだ。」 と、首を竦める。 白哉は言葉を探した。 ゆっくり、紡ぐ。 「…護神刀は砕けた…」 柔らかい風の吹く、西流魂街の外れ。 白哉の声だけが、風に乗って耳に届く。 「…刀亡き今、お前を捉えるものは何一つない。」 白哉の言う通りだ。 護神刀は砕け、防人の名からも封霊主の名からも解放された。 "自由"になったのだ。 自分を見上げる黒曜石の瞳を見据えて、座り込んだままの小さな少女に手を差し伸べる。 「…今は、何を望む?」 防人の名も封霊主の名も、にとっては重荷でしかなかった。 全てを投げ出して、逃げ出したかった。 だが、護るためには逃げる事も許されなかった。 いっそ己の命を絶ってしまおうと、本気で考えた事もある。 全てを破壊する力など、必要ない。 「 ――― ………」 だが。 初めて自由を手に入れた今、己の心に嘘を吐く必要はない。 手を差し伸べる白哉を見て、少女は笑った。 いつもの、悪戯っぽい表情で。 「私は…」 そっと、その手を握り返す。 初めての時と同じく、温かかった。 だから、素直になれた。 「私は… 生きたい………」 ただそれだけの事が、少女の願いだった。 ただそれだけの事が、許されなかった。 白哉に手を引かれ、はゆっくりと立ち上がった。 自分を見据える白哉の瞳は優しく、その胸に温かい風が吹く。 「…叶うのならば、白哉……… お前と共に…」 そう言ってが花のように笑った。 ふわっと。 白哉が少女を抱き締めた。 風が吹き、花びらが舞う。 少女を捉えるものは何もない。 その願いは叶うだろう。 |