5


ザッ

 柔らかい風に、艶やかな髪が揺れた。

 瀞霊廷の外、西流魂街の外れ… 志波空鶴の屋敷の側に位置する、一つの墓標。

 友に、花を手向けに来たのだ。

「…海燕…」

 黒曜石の瞳が、じっと墓石を見据えた。

 その霊前に飾った花が揺れる。

「親しい者が亡くなった時… 墓前に手向ける花は、紫苑が良いと思う…」

 が背中越しに声を投げた。

 きっと、近づいて来るのが誰かわかったのだろう。

 紫苑。

 その花言葉は、"君を忘れない"。

「ああ… そうだな…」

 墓石の前にしゃがみこんだ小さな少女。

 その背をまっすぐに見据えて、白哉がそう答えた。

「めずらしいな、白哉。 お前が流魂街に来るなんて。」

 振り返ることはせずに、が続ける。

「私を追って来たのか? 心配せずとも、一人で戻れる。」

 風が吹いた。

 生温かい風に、少女の艶やかな髪が揺れた。

「白哉…」

 躊躇いがちに、が口を利いた。

「…ルキアが処刑されようとしていた時… お前は何を思っていた?」

 は誰よりも白哉を見ていた。

 その心はわかる。

 だが、それでも… 白哉の口から、言葉が欲しかった。

「………」

 白哉の瞳が揺れた。

「…私が初めてルキアを見たのは…」

 その重い口を開く。

 白哉が初めてルキアを見たのは、恩師への挨拶に、真央霊術院を訪ねた時だった。

「…どこか憂いを漂わせた漆黒の瞳… それを見て… お前を思い出した…」

 その身にまとう空気とでも言うのだろうか。

 ルキアはによく似ていた。

「お前に対する罪滅ぼしだったのだろう… 私は、お前によく似たルキアを、妹として迎え… 護ろうと決めたのだ。 だが…」

 白哉がわずかに目を伏せた。

「…私は無意識の内に… ルキアを見ながらお前を探していた…」

 はもうどこにもいない。

 ルキアの中に、を探そうとした。

「護ろうと決めた。 妹として愛して行こうと決めたのだ。 だが…」

 出来なかった。

「…… 私が護りたかったのは、他の誰でもない、お前だ…」

 側にいるのはルキアなのに、何をしても白哉の脳裏を過ぎるのはだった。

「そのお前を護れなかった私が… どうして他の者を愛せる………」

 柔らかい風に乗って、白哉の声が耳に届く。

「バカ者… 私以外の者をお前が愛しても… 私はお前を責めぬ…」

 が目を伏せた。

「…人と心を通わせる事に怯えるな、白哉… お前は強い。 強くなった。 …だから、己を許してやれ…」

 白哉が小さく首を振る。

「…私は弱い… だからずっと、お前に己が気持ちを伝えられなかったのだ。」

 白哉の声に、が一度目を閉じた。

「…封印が解けた時、その場にいたのだろう、白哉…」

 ぎゅっと、が強く拳を握った。

「お前は… 確かに私を抱いていた…」

 砕けた封聖壁の中、白哉はを抱き締めていた。

「…私は、嬉しかった… だが… お前は何も言葉をくれなかった…」

 目が覚めた時、朽木邸の離れにいた。

「どうすればいいのか、わからなかった…!」

 自分が使っていた頃のまま、封印される前と何一つ変わらぬ部屋。

 いつ、が戻ってもいいように、そのままにされているのだろうと思ったのに。

「先に私を避けたのはお前だ、白哉…」

 の言う通りだ。

「…私も… 戸惑ったのだ…」

 白哉がゆっくりとに近付く。

「封印が解かれた理由もわからず… お前の気持ちも知らず… ただ、己の気持ちを押し殺していた。」

 小さな背中。

 それをじっと見据える。

「…私は間に合わなかった。 お前はきっと、私を恨んでいるだろうと思っていた…」

 風が吹いた。

「…バカだな、白哉。 お前は大バカ者だ。」

 が振り返る。

「だが… そんなお前を想い続けていた私も、救い様のないバカだ。」

 と、首を竦める。

 白哉は言葉を探した。

 ゆっくり、紡ぐ。

「…護神刀は砕けた…」

 柔らかい風の吹く、西流魂街の外れ。

 白哉の声だけが、風に乗って耳に届く。

「…刀亡き今、お前を捉えるものは何一つない。」

 白哉の言う通りだ。

 護神刀は砕け、防人の名からも封霊主の名からも解放された。

 "自由"になったのだ。

 自分を見上げる黒曜石の瞳を見据えて、座り込んだままの小さな少女に手を差し伸べる。

「…今は、何を望む?」

 防人の名も封霊主の名も、にとっては重荷でしかなかった。

 全てを投げ出して、逃げ出したかった。

 だが、護るためには逃げる事も許されなかった。

 いっそ己の命を絶ってしまおうと、本気で考えた事もある。

 全てを破壊する力など、必要ない。

「 ――― ………」

 だが。

 初めて自由を手に入れた今、己の心に嘘を吐く必要はない。

 手を差し伸べる白哉を見て、少女は笑った。

 いつもの、悪戯っぽい表情で。

「私は…」

 そっと、その手を握り返す。

 初めての時と同じく、温かかった。

 だから、素直になれた。

「私は… 生きたい………」

 ただそれだけの事が、少女の願いだった。

 ただそれだけの事が、許されなかった。

 白哉に手を引かれ、はゆっくりと立ち上がった。

 自分を見据える白哉の瞳は優しく、その胸に温かい風が吹く。

「…叶うのならば、白哉……… お前と共に…」

 そう言ってが花のように笑った。

ふわっと。

 白哉が少女を抱き締めた。

 風が吹き、花びらが舞う。

 少女を捉えるものは何もない。

 その願いは叶うだろう。


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