カタッ 微かな物音に、が眉を寄せた。 防人一族の里。 そこよりわずかに離れた場所にある離れ。 犬や猫でも迷い込んだのだろうか? (さん…) 「?」 自分の名を呼ぶ小さな声に、が首を傾げる。 (何だ?) そっと、窓を開けた。 日の暮れかけた、橙色に染まった空。 「………」 幻想的な美は、沈んだ心を優しく包んでくれる。 「さん♪」 ひょこっと、顔を覗かせたのは。 「きゃぁ…!」 は驚いて尻餅を付いた。 「き、喜助…!」 悪戯に、浦原がを見て笑う。 「バ、バカ者! 何故ここへやって来た!?」 が声を上げた。 「ここは王族の領内、王族特務や四大貴族だって… 数年に一度しか訪う事は許されておらぬ! 何を考えて…!」 「シィ。」 浦原が人差し指を立てた。 は目をぱちくりさせた。 「さん、ちょっとアタシに付き合ってくれませんか?」 「は?」 突然の浦原の申し出に、はきょとんと首を傾げる。 「ほら、早く♪」 「な、コラ、待て、喜助…! きゃぁっ…!」 戸惑うを、片手に抱き上げる。 「無礼者! 何をする…!」 じたばたと暴れるに、浦原が首を竦めた。 「ちょっとだけっスから、我慢して下さいね? アタシだって、もう右ストレート喰らうのはごめんですから。」 出逢った時の事を言っているのだろう。 「………」 さすがに悪いと思ったのか、は抵抗を諦めた。 元より、浦原には敵わないと知っている。 を抱えたまま、浦原は駆けた。 過ぎ去る景色に、が首を傾げる。 一体どこへ行こうとしているのだろう? 全く検討も付かなかった。 「今日は西流魂街で星見祭りがあるんすよ。」 浦原の声に、が目を丸くした。 「流魂街? 星見、祭り…?」 まさか、それに連れて行こうとしているのだろうか? 「喜助。 防人一族の存在は、尸魂界でも厳重機密で…」 「知ってますよ。」 の抗議の声に、浦原がしれっと答える。 「でも、それが何です? さんは行きたくないんすか? お祭り。」 と、意地悪そうに笑ってを見据えた。 「楽しいですよ?」 は少し悔しくて唇を噛んだ。 「…行く。」 「そうこなくちゃ♪」 事実が発覚すれば、も浦原も厳重な罰を受けるだろう。 それなのに、何故だろう。 ドキドキして、少し楽しかった。 しばらく駆けて、浦原がを放した。 「心配する必要な何にもないっスよ。 防人一族なんて、誰も知りませんから。 それに…」 スッと、浦原が何かを差し出した。 「何だ? 面…?」 顔の半分を隠すだろう、面だった。 「星見祭りのルールっスよ。 祭りに参加する人は、みんな面を被るんです。」 そう言いながら、袖からもう一つ面を取り出して浦原が笑った。 「せっかくですから、うんと楽しみましょう。」 と、を見据える。 「…沈んだ表情も結構ですけど… やっぱり、それだとさんらしくないっスよ。」 が目を丸くした。 まさか、自分を元気付ける為に、わざわざ危険を冒してまで防人一族の領内に忍び込んだと言うのだろうか。 「き、喜…」 自分を見上げる黒曜石の瞳。 何も言うなとでも言うように、浦原は笑った。 「ほら、行きますよ、さん。」 と、手を差し伸べる。 「………」 の瞳が揺れた。 「ん………」 躊躇いがちにそっと、手を繋ぐ。 にとって初めての流魂街、そしてお祭り。 賑やかで楽しかった。 金魚掬いや輪投げ、射的… そして、メインは… ヒュゥ… パーン 夜空に咲いた、大輪の華。 「いやァ、今年も見事な花火ですねー。」 浦原の声に、が眉を寄せた。 「喜助…」 「はい、何でしょう?」 は唇を噛んだ。 「…すまなかった…」 突然の声に、浦原が目を丸くしてを見据えた。 小さな少女は、強く裾を握ったまま唇を噛み締めている。 浦原は小さく笑った。 「…何がです?」 浦原自身が驚くほどに、その声は優しい。 「…お前に… 色々と気遣いをさせてしまったのだろう… 私は…」 何か言いかけた少女の口元に、ぴっと人差し指を当てた。 「ダメじゃないっスか、さん。 アタシより先に謝っちゃうなんて。」 「え?」 その声に驚いて、が浦原を見上げた。 まだ、花火は打ち上がっている。 その咲いては散り行く花火を見上げて、浦原が口を利いた。 「…花火が終わったら、謝ろうと思ってたんすよ…」 いくら夜一に任されたからとは言え、触れてはいけない傷を抉ってしまった。 他の誰かなら、気にも留めなかっただろう。 だが… 「…アナタは、不思議な人ですね…」 広がる夜の闇。 「喜助…?」 辺りに花火以外の光はなく、その表情はよく見えない。 『無礼者! いつまで抱えておるつもりだ!!』 出会いの瞬間の右ストレート。 今思えば、浦原自身が無意識に周囲に対して造っていた壁は、それに砕かれたのだろう。 強気で勝気な少女は、本当は内に孤独を秘めていた。 その傷に触れた時、その孤独が垣間見えた。 出逢ってまだ、たった二月程。 霊力を持たない防人一族への興味は、次第に個人への興味に変わっていた。 その変化に誰よりも戸惑ったのは浦原自身である。 「…何でもないですよ…」 ぽんと、少女の頭を撫でた。 怒ったり拗ねたり笑ったり… 泣いたり… の表情の変化は、浦原の心を揺さぶる。 そっと、少女の肩を抱いた。 「喜助…?」 少し驚いたように、が目を丸くして浦原を見上げる。 「体を冷やしてはいけないと思いまして。 迷惑ですか?」 そう言う声は優しく、浦原自身も戸惑った。 「いや… ありがとう。」 は細く笑った。 (夜一さん…) わずかに、浦原の瞳が揺らいだ。 腕の中に感じる、確かな温もり。 (…この人が、アタシの『護りたいもの』です…) これほど、心が穏やかであるのは初めてだ。 「…今日はもう少し、付き合ってもらいますよ。」 が初めて、志波海燕と志波空鶴に出会ったのはこの日だった。 沈んでいたを励まそうと、浦原が引き合わせたのだ。 |