薬物特有の、鼻に付く匂いが充満している。 日の光は届かない、薄暗い場所。 瀞霊廷内の者ならば、誰も好んで近寄る事はしないだろう。 涅の実験室。 を連れて帰った涅は、一人でぶつぶつ何かを呟きながら、薬を調合している。 実験室の隅には、十二番隊副隊長・涅ネムが何も言わずに佇んでいた。 は実験台の上で両手足を拘束されたまま、気を失っている。 涅が、じっとを見た。 「ん… サンプルには申し分ない。」 美しく若い少女。 一体どんな悲鳴を上げて、自分を愉しませてくれるのだろう。 ふと。 腰に刺さったままの斬魄刀。 布や鎖が幾重にも巻かれており、抜刀出来ないだろうとそのままにしてあるが。 こう見た時に、やぱり邪魔である。 気を失ったままのへ、手を伸ばす。 涅の指先が、腰の斬魄刀に触れる直前。 「!!!」 「マユリ様!」 ネムが叫んだ。 涅の体は、見えない何かによって弾かれて、壁にたたき付けられた。 駆け寄ろうとしたネムの頬を、風が撫でる。 「風? そんな…」 驚くのも無理はない。 実験室に窓はなく、今は密封された状態なのだ。 風が吹くはずはない。 「何だ、今のは…?」 背を打ったのか、涅が少し顔をしかめて苦々しく毒づく。 「!?」 目を見張った。 強力な麻酔を使ったのだ。 たとえ手や足を切り落としても、目覚めない程強力な麻酔を。 両手足を拘束していた物は、霊圧を封じる特殊な拘束具。 たとえが目覚めたとしても、体を動かせる訳はないのだ。 それなのに。 は、自分が寝かされていた実験台の上に佇んでいた。 風はから流れて来る。 「貴様…!」 涅がを睨んだ。 「貴様一体何者………!!」 「…輝け、月華(げっか)。」 言葉を完全に発するより先に、が切りかかった。 いつの間にか、少女の手の内に握られていた斬魄刀。 涅は、間一髪でそれを交わした。 慌てて体勢を立て直す。 避け切れなかったのだろう、その頬を一筋の血が伝った。 が涅を睨み据える。 「…私を怒らせたいのか? 死ぬぞ、貴様。」 が話す度に、ビシビシ霊圧が飛んで来る。 「くっ… くっくっくっ………はーっはっはっは!!」 涅は笑った。 「素晴らしい、これほどまでとは! 防人一族! 実に興味深いよ!!」 「黙れ、下衆(げす)。」 が腰の斬魄刀をぎゅっと握った。 「コレはお前如きが触れてもいい物ではないぞ。 己の非礼、その命で償え。」 静かに構える。 さすがにの態度に腹を立てたのだろう、涅が声を上げる。 「なめるな小娘! 私の恐ろしさ、その身に刻んで…!!」 ザン。 の斬撃。 涅は寸での所で交わした。 「ほぅ、交わすか。 弱くはないな。 だが…」 の霊圧が上がった。 その霊圧に当てられて、涅はその場から動けない。 「冥土の土産だ。 その眼に刻め。 これが私の斬魄刀…」 が斬魄刀をかざした。 「卍解、星彩(せいさい)月…!」 「やめろ。」 斬魄刀を薙ぎ払おうとして、その手首を捕まれた。 その声に、よく知る霊圧に、は一瞬にして怒りを忘れる。 ゆっくり、振り返った。 「…白、哉………」 六番隊長・朽木白哉。 の手から、斬魄刀を取り上げる。 「月華の霊圧を感じた。 まさかとは思ったが、来て正解だったようだ。」 白哉の手に収まった斬魄刀は、一瞬にして花びらに姿を変え、燃え尽きて、灰になった。 「…」 白哉がすっと、の頬に触れる。 ビクッと、少女が震えたのがわかった。 「…何故、私を止めた?」 気のせいだろうか、その声は震えていた。 「お前を失いたくないからだ。」 白哉の声。 は強く唇を噛んだ。 「白哉、お前は…!」 弾けたように、白哉を見上げる。 「お前は…ッ……!」 自分を見据える、白哉の瞳。 涙を堪える事が出来なかった。 「…お前は一度、私を捨てたではないか………」 黒曜石の瞳から、大粒の涙がポロポロ零れる。 腰の斬魄刀に触れられそうになり、意識を取り戻しただが。 涅の打ち込んだ麻酔は強力なもので、無理に動かしている体が、言う事を利かない。 がくっと、その場に崩れそうになる少女の体を支える。 「、私の許(もと)へ来い。」 立っているのも辛そうなを見かねて、白哉はその体を抱き上げようとした。 「っ、触るな!」 は白哉の腕を振り払い、一瞬にしてその場から姿を消した。 瞬歩だ。 白哉はの霊圧を追ったが、捕らえる事は出来なかった。 少女の腕を掴んでいた自分の手を、何も言わずしばらく眺めていた。 「あ、あの…」 ネムの声に、視線を投げる。 「…此度は止めたが、今後に関わるな。 命を落とす事になる。」 涅を見据える白哉の瞳は冷たかった。 「何だと、朽木…!!」 涅が何か言いかけたが、瞬歩を使ったのだろうか。 白哉の姿は、もうそこにはなかった。 |