春になったら



「きゃ〜! もう、最悪っ!」

 目にいっぱい涙を溜めた少女が、ものすごい速さで走っている。

「お兄ちゃんのばか〜!! どうして起こしてくれなかったのよ〜!」

 3年間バスケ部で鍛えたその俊足に、通行人は驚いてただ道を譲る。

少女の名前は、神。―――

 今日は高校入試と言う、大切な日だ。

 それなのに。

(あたしのバカ! こんな日に寝坊するなんて〜!)

 そう、寝坊してしまったのだ。

 試験前日と言う事で緊張して、なかなか眠れなかったのである。

 制服を綺麗に着て、髪も結って、早めに会場に到着して、ベストな状態で試験を受ける予定だった。

 今の少女の姿は、予定とはほど遠い。

 ダッシュしているため制服と髪はもうめちゃくちゃ、受験票など片手に握り締めている状態。

 の足なら、ダッシュでギリギリ間に合う時間である。

 とりあえず、セーフと思った矢先。

「きゃっ!」

 わずかな段差に躓いて、ハデに転んでしまった。

 とどめを刺すように、受験票が風に飛ばされる。

(きゃ〜! さよなら、志望校〜!)

 膝を擦りむいてしまい、追いかける事が出来ない。

 ショックのあまり立ち上がる事も忘れて、はその場に座り込んでいた。

「…湘北高校受験票。 神…」

「…え?」

 突然聞こえて来た声に、は顔をあげた。

「…お前のだろ。」

 自転車に跨った背の高い学ラン姿の少年が、の受験票を片手に持っている。

「あ、あたしの!」

 は飛びつくように、受験票を握り締めた。

 喜ぶに、少年が手を差し出す。

「…何?」

 が首を傾げた。

(まさかお礼に何かよこせって言うんじゃ…?)

 少年が溜息を吐いた。

「間に合わねえだろ、どあほう…」

 少年が乗れと、指で後ろを指す。

「え、でも…悪いよ。」

「…俺もそこ行くから。」

 遠慮がちに言ったを、少年は力づくで後ろに座らせ、自転車を走らせた。

「…捕まってろ。 落ちたら知らねえぞ。」

 幸運な事に、はぎりぎり試験に間に合った。


試験終了後。―――

!」

 突然呼ばれて、はきょろきょろと辺りを見回した。

「あ、お兄ちゃん!」

 いつも飽きる程に見慣れた顔なので、すぐにわかった。

「間に合ったんだ、良かったね。」

 にっこり笑う兄に、も大きく頷く。

「ん! あのね、知らない男の子のおかげで間に合ったの!」

 は朝の出来事を話した。

「あはは。 まったく、ドジだな。」

 笑い飛ばされて、はフンとそっぽ向いた。

 そして、目立つほど背の高い、少年を見つけた。

「あ、あの人…!」

 こっちに歩いて来ている。

「あ、あの!」

 に声をかけられて、少年はああと頷いた。

「…何か用か?」

 は大きく頭を下げる。

「朝はありがとう! 君がいなかったら、試験受けられなかったよ。」

 にっこりと笑ったに、少年は小さく頷いた。

「…この人がそうなの?」

 と、兄の言葉にが首を縦に振る。

 にっこりと笑って、神が言った。

「ありがとう。 妹が世話になったみたいだね。」

 笑顔のまま続ける。

「春になっても、よろしく頼むよ。」

 少年は神にぺこりと頭を下げて、去って行った。

 その背を見送る妹に、小さく溜息を吐く。

「…富中バスケ部の、流川楓。」

 が首を傾げた。

「バスケ部なのに、どうして知らないんだ…まったく。」

 が呟いた。

「…流川、楓。」

 流川が出て行った校門を見つめるに、神が声をかける。

「背が高いだろ。」

「ん。」

「愛想ないだろ。」

「ん。」

「惚れただろ。」

「ん… って、えぇ !?」

 真っ赤になって慌てる妹に、神はやっぱりと少し肩を落とした。

「まだ、妹でいて欲しいんだけどな〜。」

「そそそ、そんなんじゃないもん!」

 上擦った声で言われても、説得力がない。

「ドモリすぎ。 ほら、帰るよ。」

 兄に従って、家路に着く。

 朝方躓いた道を通ると、流川の事を思い出してしまい、顔が熱くなった。

 兄に見られると、またからかわれるので、ずっと俯いていた。

 流川がこの道を通らなければ、自分はどうなっていただろう。

 改めて、お礼が言いたい。

(きっと、すぐ会えるよね。)

春になったら。―――



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 800キリリクです。
 流川ドリーム希望で、神か藤真でも可との事で、特別に兄としてご登場。
 ゆき様に送ったときは、兄貴を選べました。(画面入力形で)
 受験シーズンですから、一応季節モノと言う事で。