屋上



 藤真は翔陽校舎の屋上で寝そべっていた。

 生温い風に髪を揺らしながら、雲が流れるのを、まるで何時間も前からそうしているように、じっと見ている。

 藤真はそっと目を閉じた。

 温かい日差しに、眠気を誘われる。

 と、ふいに影が差したので少し驚いて目を開いた。

 左右の色の違う瞳と、視線がぶつかった。

「…ちゃん?」

「えへへv 付き合ってくれます?」

 そう言ってが差し出したのは、缶ジュース。

「ミルクティー、私の奢りです。」

 は寝そべっている藤真の横に、ちょんと腰を下ろした。

 藤真は体を起こして、微笑んだ。

「いただきます。」

 二人で再会の乾杯をして、顔を見合わせて笑った。

「試合お疲れ様でした。 相変わらず、上手いですね。」

 藤真は、どーもと首を竦めた。

「…たとえば?」

 は少し考えて。

「やっぱり基礎がしっかりしてますよ。 あと、シュートフォームがキレイになりました。 フェイクを上手く使い分けてるし、それと…」

「それと?」

 藤真がを見つめた。

「…背が、伸びましたね。」

 は、いつになく穏やかに微笑んだ。

「2年って、短いんだか長いんだか…わかりませんね。」

 瞳を伏せて、が言った。

「…俺にとって、ちゃんと会えなかった2年間は長かったよ。」

 藤真は優しい眼差しで、を見つめた。

 はまっすぐに藤真を見つめていたが、やがて少し眉を顰めた。

 膝を付くような格好で中腰に座り、藤真を抱き締める。

「どうした、何かあったのか?」

 心配そうに、藤真が訊ねた。

 はぶんぶんと首を横に振る。

 藤真を抱き締める腕の力を少し強めて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「あの時…先輩がこうやって抱き締めてくれて、私すごく嬉しかった。」

 あの時。

 藤真の体に、微かに緊張が走った。

 は藤真を抱き締めたまま、続ける。

「…我慢するなって、言ってくれたのは…先輩じゃないですか。 どうして、一人で抱えてるんですか…」

 藤真は目を見開いた。

「私は、先輩には全部話してます。 先輩も、言って下さい… 聞いても、私には何も出来ないかもしれないけど…」

 の声が震えている。

「今の先輩、すっごく無理して我慢してる… 私、そんな先輩を見てて…何も出来ない自分が悔しい…!」

 藤真は黙って聞いていた。

「監督だから…弱音なんて吐けないのは、わかってます… でも、先輩だって一部員でしょう? 悩んだって、いいんですよ…」

 は更に強く、藤真を抱き締めた。

「こうしてたら、先輩がどんな顔をしているかなんてわからないから… 強がらないで…!」

 の声は、藤真の耳によく届いた。

「私でよければ、胸でも肩でも、何でも貸しますから… 自分に、嘘を吐かないで…」

 藤真はを抱き締めた。

 が、自分を抱き締めるそれよりも強く。

「…今日勝っても、遅いんだよ… 俺が悪いんだ… 夏は、終わった…」

 絞りだすような藤真の声が、の耳に届いた。

「…予選リーグで、もっと早くから出ていれば… あんな結果には、ならなかったかもしれない…」

 藤真の体と声が震えている。

「湘北に負けて… 1年間必死になって積み重ねてきた物が、全部壊れた気がしたんだ…」

「………うん。」

「…花形たちは何も言って来なかった… きっと、怒ってるんだ… 俺の指導力不足だ、俺のせいで、負けたから………」

「先輩のせいじゃありませんよ。 それがわかってるから、何も言わないんですよ…」

「…このままじゃ終わりたくて… 俺が残るって言ったら、3年が皆残るって言ってくれたんだ…」

 はいつもされるように、藤真の髪を撫でていた。

「夏の後から、受験に取り組もうとしてた奴もいるはずなのに… 俺がそいつ等の未来を潰してる…」

 藤真の手が、の上着を強く掴んでいる。

「やめてもいいって、言ったんだ… でも、皆で選抜を勝ち抜こうって言ってくれた… 嬉しかった… でも…!」

 藤真は続けた。 全てをぶちまけた。

「あの時、湘北に勝っていれば…」

「…ん。」

「インターハイで、全国を見せてやりたかった…!」

「…ん。」

「牧と…!牧と、決勝リーグで戦いたかった…!」

「………ん。」

 藤真はそれ以上は何も言わなかった。

 それが一番の心残りであろう、を抱き締めたままだった。

 も何も言わず、藤真を抱き締めていた。

 乾いた風が吹く、秋空の下だった。




「…花形さん………」

 2年の伊藤が背の高い先輩を見上げた。

「…俺達は何も聞いていない。 わかったな。」

 藤真を探しに屋上へ向かおうとして花形は、伊藤に呼び止められた。

 伊藤は、湘北マネージャーの一人を屋上に案内した後で、屋上にしばらく近付かないで欲しいと頼まれていたのだ。

「は、はい。 お疲れ様でした。」

 伊藤はぺこりと頭を下げて、階段を下りていった。

 花形は屋上へのドアに寄りかかって座り、ゆっくりと息を吐いた。

「…どっちが、何も言わないんだよ。」

 花形はこの日始めて、藤真の本音を聞いた。

(あの子なら、藤真の支えになれるかもな。)

 らしくないと思いながらも、そんな事を考えた。



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